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広島高等裁判所 昭和39年(ネ)93号 判決 1966年12月13日

控訴人

株式会社尾道倉庫運輸

右代表者

筒井密義

小川隆

右訴訟代理人

博田一二

被控訴人

三善敏江

右訴訟代理人

水野東太郎

荒井秀夫

平岡高志

松尾美根子

右訴訟復代理人弁護士

杉本那子

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次の一、二のとおり附加する外、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一、被控訴代理人は、本訴請求中損害金に関する部分を減縮して、金一、〇一六、六六七円に対する利息として昭和二七年一一月二四日より昭和三五年三月三〇日まで旧利息制限法所定の制限の範囲内において年一割の割合による金員並びに遅延損害金として昭和三五年三月三一日より完済まで約定損害金の範囲内において年二割の割合による金員の支払を求める。

二、証拠として、<省略>

理由

<前略>訴外亡岡本忠雄は、控訴会社の取締役及び相互金庫の役員をしていたが、昭和二七年九月末施行の衆議院議員の総選挙に広島県第三区から立候補した。右岡本忠雄の亡妻は相互金庫の代表取締役三善清胤の妹であつた関係から、三善清胤は岡本忠雄の右立候補にあたり個人的に資金の援助をした。一方、地元の控訴会社の役員特に小川隆、筒井密義等は、熱心に岡本の選挙運動に従事したが、選挙運動資金が足らないため、控訴会社より相互金庫に対し金一〇〇万円の金借を申入れ、右借入金を岡本の選挙運動資金に使用することにした。控訴会社より右金借の申入れを受けた三善清胤は、右申入れの事情を承知の上でこれを承諾し、直ちに相互金庫の職員綿引厚をして相互金庫よりの現金一〇〇万円を尾道市に持参させ、これを控訴会社に貸与することにした。綿引厚は昭和二七年九月二四日頃尾道市内の旅館松風館において右持参した金一〇〇万円を直接岡本忠雄に交付し、当時の控訴会社の代表取締役恵谷義堯作成名義の控訴会社より相互金庫宛の金額一二〇万円の借用書(甲第一号証)、控訴会社振出し相互金庫宛の金額一二〇万円、振出日同月二四日、満期同年一一月二四日の約束手形一通(甲第二号証の一)等の書類を控訴会社から受取つた。右貸借において、弁済期は同年一一月二三日、利息は月五分、期限後の損害金は日歩三〇銭と定められた。岡本忠雄は、前記選挙において落選し、控訴会社は、右弁済期を過ぎても、右借受金を返済しなかつた。しかし、右貸金が岡本忠雄の選挙運動資金に充てるためになされたものであり、且つ岡本と相互金庫の代表取締役三善清胤との間に前示の如き身分関係があつたので、相互金庫は控訴会社に対し強いて右貸金の返済の請求をせず、ただ相互金庫における事務処理の都合上、右貸金の担保のため振出された前記約束手形につき数回にわたり書替えを受けて、右貸金の弁済期を順次延期し、最後に昭和三〇年三月中控訴会社振出しの金額一二〇万円、振出日昭和三〇年三月(日付なし)、満期欄白地の約束手形一通(甲第八号証の一)を受取つた。相互金庫は昭和二九年一二月二八日商号を大津セメント興業株式会社と改めた。

以上のとおり認めることができる。控訴人は、右金一〇〇万円は、選挙運動資金として前記三善清胤から同人の義弟岡本忠雄に対し贈与されたものである旨主張し、原審証人岡本忠之、当審証人綿引厚、岡本美都子の各証言、原審及び当審における控訴会社代表者筒井密義、当審における控訴会社代表者小川隆各本人尋問の結果中には、右主張に副う部分があるけども、右供述部分は前掲各証拠に照らして信用し難く、他に前記認定をくつがえして、控訴人の右主張事実を認めるに足る証拠は存在しない。

そこで、控訴人の消滅時効の抗弁について判断する。

相互金庫は、金融業を目的とする株式会社であるから、相互金庫より控訴会社に対する本件貸金債権(その貸付元本額がいくらであるかの判断はしばらく別として)が、商行為に因り生じたものであることは明白である。したがつて、本件貸金債権は、商法第五二二条所定の五年の時効により消滅するものといわねばならぬ。ところで、前示認定の如く、本件貸金債権の弁済期は当初昭和二七年一一月二三日と定められていたが、その後右貸金の担保のため控訴会社が相互金庫あてに振出した約束手形は数回にわたり書替えられ、最後に昭和三〇年三月頃金額一二〇万円、満期欄白地の約束手形(甲第八号証の一)が相互金庫(但し当時の商号は大洋セメント興業株式会社、以下同じ)に交付されているのであるから、本件貸金債権の弁済期が昭和三〇年三月頃まで延期せられたことは明らかである。そして、控訴人が最後に右白地手形を振出して相互金庫に交付するに際し、満期をいつにするかについて約定のあつたことを確認し得る資料がないから、相互金庫は任意の日を満期として補充し得るわけであつて、本件貸金債権は昭和三〇年三月以降期限の定めのない債権となり、五年の消滅時効は同月より進行することになる。もつとも、当審証人三善清胤の証言中には、昭和三一年頃岡本忠雄の申出により右白地手形の満期を昭和三五年三月三〇日と補充した旨の供述があるけれども、右供述は弁論の全趣旨に照らし容易に信用し難い。したがつて、本件貸金債権は、おそくとも昭和三五年三月末日限り五年の消滅時効の完成により消滅したものと言わねばならぬ。なお、前記甲第八号証の一によれば、前記白地手形の振出日が昭和三〇年三月三一日、満期が昭和三五年三月三〇日と補充せられていることを認め得るけれども、いつ右満期が補充せられたかを確認し得る証拠としては前記証人三善清胤の供述以外にはなく、右供述の信用し難いことは前記の如くであるから、果して右白地手形の満期が本件貸金債権の消滅時効完成前に補充せられたか否か判明しないわけである。そして、仮に右補充が右消滅時効完成前に相互金庫によりなされたとしても、右補充につきあらためて控訴会社との間に話合のなされた事実を認め得る証拠はないから、相互金庫が一方的に右満期日を補充したことにより、本件貸金債権の弁済期が右満期日まで一方的に延期せられ、或は本件貸金債権の消滅時効が中断せられたものと認めることはできない。更に、原審証人三善清胤の証言中には、控訴人に対する二度目の債権譲渡通知のなされた後、控訴会社の代表取締役となつていた筒井密義から甲第一四号証の約束手形を受取つた旨の供述があり、甲第一五号の右証人名義の上申書には、右供述は同人の感違いであつて、三善が筒井から甲第一四号証の約束手形を受取つたのは、昭和二二年から昭和三四年響までの間である旨の記載があるけれども、右供述及び記載は原審及び当審における控訴会社代表者筒井密義本人尋問の結果に照らして信用し難く、右本人尋問の結果によれば、筒井は甲第一四号証の約束手形(振出日及び満期欄は白地)を振出して三善に交付したことはなく、右手形の振出人の署名その他の記入文字の筆蹟は前記恵谷義堯のものであることを認めることができる。そして、右約束手形が三善清胤に交付せられた時期を確認しうる証拠の他に存在しない以上、甲第一四号証は本件貸金債権の消滅時効が中断せられたことの認定の資料に供することはできない。

そうだとすれば、被控訴人が本件貸金債権を譲受けたと主張する昭和三五年八月二七日当時には、すでに本件貸金債権は消滅時効の完成により消滅していたものである。したがつて、控訴人に対し本件貸金債権の支払を求める被控訴人の本訴請求は、その他の点について判断するまでもなく、理由のないことが明らかであるから失当としてこれを棄却すべきものである。右と結論を異にする原判決は不当であつて、本件控訴は理由がある。

よつて、民訴法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。(松本冬樹 辻川利正 浜田治)

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